イデオロギー対立に巻き込まれる社会問題

子どもの連れ去り親子断絶問題」という非文明的な社会問題が日本にあることを知るまでは,媒体に拘り無く,目につくニュースに一様に感化されていた。右も左も意識したことは無かった。

様々な社会問題の市民活動に参加していると,どうしても「リベラル」とレッテル貼りされる方達の知り合いが多くなる。元々,自由奔放な校風の高校出身なので,リベラルな友人が多い。

左翼と揶揄される人脈に抵抗はない。

住まいの隣が神社なので毎日参拝している。20代の頃は当時の勤め先の行事で毎年桜の季節には靖国神社の大村益次郎像の前で「同期の桜を歌う会」のサポートに駆り出されていた。
右翼と揶揄される人脈に抵抗はない。

年間を通じ,神道,仏教,キリスト教の行事に参加しており,異なる宗教に抵抗感も無い。

仕事においては女性を優遇登用することが多かったが,ミサンドリーには嫌悪感がある。

しかし,子どもの拉致ビジネスを知り,調べていく過程で,似非人権派,弱者ビジネスの存在を知る事になり,利権が煽動するイデオロギーに社会問題が密接に関わっている事が多いと感じることが多くなった。女性の味方のような「ええかっこしぃ」は,安易に出来なくなった。

そして報道機関が中立的ではないと感じはじめ,確信に変わった。

子どもの連れ去り親子断絶問題に対して,「リベラル」と称される方々は非常に冷淡に感じている。そこには「お為ごかし」の利権が存在し,その人脈の主張に因る先入観の影響が強いのだろうと感じている。

本来リベラル案件だと思うが,子の連れ去り親子断絶問題を怪しからんと感じる人脈には保守系が多い。

保守系は,古来の性別役割分業を尊重する傾向から男性の家事育児には興味が薄いのではと感じる時もあるが,それ以上に家族破壊ビジネス(=国家弱体)を許せない方が多いのだと感じている。

日本で弱者と定義されるのは「女性と子ども」だ。LGBTも(差別に苦しむ)弱者として扱われることが多くなってきている。在日韓国人同和などの差別問題の周辺と通じるものを感じている。

20代の頃は深夜から呑み始める機会が多く,深酒となる時に早朝から呑む場は,新宿2丁目しかなかったのでLGBには慣れ親しんでいた。なのでLGBに特に抵抗感も無い。そこでは私は「ノンケ」とか「ストレイト」とか呼ばれ,悪意無くお互いの異なる性的志向性をからかっていた。犬派と猫派の会話のようなもので,差別とはかけ離れたものだ。よもや性的志向性の違いが差別問題として国会を賑わす時代が来ることは全く予見していなかった。

先般,自由民主党の杉田水脈議員の少子化対策が優先されるべきであるという趣旨を伝えLGBT予算に疑問を投げかける言葉がLGBT差別発言として物議を醸している。(新潮45【特集】日本を不幸にする朝日新聞

杉田水脈議員は,歴史ねつ造に因り国益が貶められている事を憂う所謂「保守系」と評価されている議員だ。「弱者」を政治利用したり利権化する方達への嫌悪が今回の主張に繋がったのではと感じている。
子どもの連れ去り親子断絶問題に関与する利権団体と今まで彼女が戦ってきた人々が多く共通していることに気付いたことにより関心を高めている。

子どもの連れ去り親子断絶問題については,保守寄りと言われる「産経」で扱われることが多く,リベラル寄りと言われる媒体では,引き離された親達を危険視する差別報道が多くなっていると感じている。(本記事下部参考リンク参照)

大手では無いが「日本時事評論」も弁護士らの主導する子の連れ去り親子引き離しビジネスを問題視し,継続的に取り上げている。しかし,日本時事評論を日本会議の機関誌として認識し,日本会議を陰謀説のように敵視する層が一定数居る。私の知人友人にも残念ながら多い。
そのような方達にしてみると日本時事評論が取り上げた社会問題を,真実を詳細に知ろうとせず天邪鬼に反対しようとする作用が発生することもある。

「子どもの連れ去り親子断絶問題」という本来,右も左も関係無い人権問題が,イデオロギーの対立に巻き込まれている状況と言える。

そのような状況で大手報道機関である朝日新聞社が昨日配信した情報には目を疑った。
同社のAERAオンラインの記事にて,女性である杉田水脈議員の顔立ちをこき下ろすという単なるヘイトを行っていたのである。
事細かく容姿を批判的に評価するだけの極めて低俗な内容であった。(本日,記事は削除された模様)

人相学を悪用する手口からヘイトスキルの高さすら感じる。

杉田水脈議員の発信した情報の一部が本意で無くとも傷つけた相手がいるとしたら説明や謝罪を要求する方達が出現するのは仕方ないが,大手報道機関が低俗な誹謗中傷により個人への精神的暴力を行うのは全く別の許されない行為だろう。

「杉田水脈衆院議員の顔は「幸せに縁がない」 観相学で見てみたら…」(構成/ライター・浅野裕見子)※AERA オンライン限定記事


公共課題について意見を表明し議論を促すのは結構だが,殺人予告まで発生している事態において,攻撃を扇動するような行為は報道倫理に欠けることが明らかだ。

ヘイトを行う大手報道機関など冷静な議論を妨げ社会に対立構造を作る社会悪でしかない。

現在,実名で杉田水脈議員への攻撃を問題視すると危険が伴うとは言われているが,扇動報道の過熱には看過し難いものが含まれている。

杉田議員に限らず誰かを叩くことが盛り上がり加熱し過激化していくことは非常に危険だと感じている。

「ヘイトと受け止めた!だから,ヘイトで10倍返しだ!」こんな正義が大衆に指示されるとしたら日本はもはや健全な社会とは言えない。

様々な社会問題が雑なイデオロギーで選別され対立させられること無く,報道機関毎の偏向も無く,純粋に各編集者の取材努力の成果を,疑わずに読むことができる日本になって欲しいと願うばかりだ。


2018.7.29 追記(2019.8.11一部削除)

保守もリベラルも無く,解決すべき問題が沢山溢れていると思います。

予算には限りがあり取捨選択を議会で行わなければならず,議員達には自身の意見を表明するための活動もあるでしょう。しかし,市民が意識改革の啓蒙をすることは必ずしも予算が必要とされ無い筈です。

保守対リベラルなどという雑なカテゴリーで人脈を分けずに,協力し合い議論し合い,より良い社会が生まれることを望みます。


2018.7.30追記

連れ去りは日本の文化」という発言で,国際社会を驚かせた元衆議院議員の井戸まさえ氏も「叩きやすくなった」と評価する杉田水脈議員の容姿を批判する記事を「現代オンライン」に掲載しました。「親子法改正研究会」なる団体を主宰されているようですが,親子の問題には極力,関わらないで頂きたいと願います。


2018.8.6追記

 杉田水脈議員への苛めのような攻撃に対し,冷静さを求める意見も出てきた。

NHKに至っては,連想ゲームのような曲解に因る事実ねつ造ともとれる。受信料を強制徴収している報道機関がやっていい事では無い事が明かだろう。

やはり日本の報道や市民運動は,健全な議論から離れ,イデオロギーの対立に巻き込まれているとの考えが強まった一連の騒動だ。それにしてもNHK,朝日...

「ストローマン論法」とは?

相手の主張を故意に取り違えたり歪曲したりして出来上がった脆弱な主張をストローマン(藁人形)として打破し、そのことによって相手の主張を論破したことにしようとする論点すり替えによる詭弁である。


参考情報:

「シリーズ 週刊金曜日のデマとヘイト」(共同親権運動ネットワーク)

シリーズ 週刊金曜日のデマとヘイト 第1回  面会交流は権利「あらゆる人が保障されるもの」 | 共同親権ニュースドットコム

面会交流は権利 「あらゆる人が保障されるもの」という観点に立って議論すべき 村上らっぱさん(『府中萬歩記』編集部)インタビュー 聞き手 宗像 充(共同親権運動ネットワーク、ライター) 週刊金曜日の特集「『親子断絶防止法案』は誰のためのもの」(2017年5月19日1136号)という特集について、シリーズで各界の人物に意見を聞いていきます。 1回目は、村上らっぱさん。労働問題や障害者問題、天皇制問題など人権問題、社会問題に取り組む一方で、府中市で「府中萬歩記」というミニコミを発行しながら言論活動を続けています。 ――まず、金曜日の企画を全体通して読んでの感想を教えて下さい。 非常に一方的な企画だと思いました。 連れ去りをされ、子どもに会いたくても会えない親の意見が殆ど入っていない。 面会交流は権利です。夫婦間のトラブルをDV・虐待に矮小化せず、別居親やDV被害者、子供などの様々な人の意見を聞き、どのようにして面会交流の権利を保障して行くか、社会的合意形成について建設的に話し合える地盤づくりをするような紙面構成にするべきです。 ――金曜日の企画では「問題のある別居親のための法律は必要ない」というタイトル記事が冒頭に来ています。この表現を聞いてどう思いましたか。 非常に一方的だし権威主義的だと思いました。 「問題のあるなし」は、権力が法や制度を恣意的に運用する際に使われます。共謀罪などに顕著です。一切の留保なくこの様なタイトルを使う編集部の姿勢は非常に権威主義的であると同時に、「問題のあるなし」を一方的に決めつける事が出来るという考えが現れており、非常に危険です。 ――ほかに、記事で気づいた点があれば教えて下さい。 面会交流はまだ一般的に浸透し始めた状態です。制度としての不備もあるし当事者も様々です。しかし現在はまだ完全にその権利が保障されているとは言えません。そういった制度や当事者のあらさがしをしている印象を受けました。 また、「子どもの利益」と書かれていますが、大人の都合で「子どもの利益」を使われる事が多々あります。そこの触れないのは欺瞞的だと思います。

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シリーズ 週刊金曜日のデマとヘイト 第2回 「原則面会交流実施」の実態(前) | 共同親権ニュースドットコム

シリーズ 週刊金曜日のデマとヘイト 第2回 「原則面会交流実施」の実態(前) 古賀礼子さん(弁護士)インタビュー 週刊金曜日の特集「『親子断絶防止法案』は誰のためのもの」(2017年5月19日1136号)という特集について、シリーズで各界の人物に意見を聞いています。 2回目は、弁護士の古賀礼子さん。自身も、離婚経験のある同居親である一方、仕事でも面会交流事件など親子関係や夫婦関係を扱うことが多く、子どもに会えない父親たちが父子関係を取り戻すのに尽力してきました。kネットは、断絶規定が付加された「親子断絶防止法」については反対を表明しましたが、古賀さんは親子断絶防止法については一定評価しています。 家裁に行けば本当に子どもと会えるのか? ――週刊金曜日の今回の特集では、冒頭、斉藤秀樹弁護士が「問題のある別居親のための法律はいらない」というタイトルで寄稿しています。 別居親さんたちが携わったという経緯はあっても、この法律は問題のある別居親のための法律じゃない。別居親さんたちが問題があるかどうかも疑義があるけども、法律はとにかく同居親も別居親もそれぞれ子どものとの関係を維持・構築するというためのものであって、じゃあだれのためなのかと言ったら子どものためや、みんなのためにはなると思う。 同居親にとっても、法律があることで私は面会交流義務を果たしたいけれど、いろんな支障がある中で、社会が支援してくださいっていう根拠にはなるはず。なぜ別居親のためだけのものだと決めつけ、それを否定する必要があるのかは疑問です。 ――「問題のある別居親」という言葉の前提には、「現在、家庭裁判所では、別居親から面会交流の申立てがあれば原則として面会交流をさせる方針をとって」いるという主張があります。ぼくらの実感とは違いますが、本当に家庭裁判所は、原則面会させる方針を取っているんでしょうか。 会せた方がいいという方針は裁判所の立場としてあると思います。 ――「DV・虐待等の訴えが出ていても子の福祉に反することを立証できない限り面会を認めている」とも斉藤さんは言っています。 そういう審判を直ちに出してくれるなら我々のような別居親を支援する弁護士は楽です。我々からすると、DVや虐待などの訴えを出していることも含めて、会わせたくないという立場の人に過度に配慮する傾向が一方であると感じています。

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シリーズ 週刊金曜日のデマとヘイト 第2回 「原則面会交流実施」の実態(後) | 共同親権ニュースドットコム

シリーズ 週刊金曜日のデマとヘイト 第2回 「原則面会交流実施」の実態(後) 古賀礼子さん(弁護士)インタビュー 聞き手 宗像 充(ライター、共同親権運動ネットワーク) 問題がある親…… ――ところがなかなか子どもに会えない実情は無視して、週刊金曜日では、「面会が認められない親は子の福祉に反することが明らかな、相当問題がある親といっていい」(斉藤)という結論になります。 これはかなり乱暴で不適切な表現なんじゃないんですか。面会が認められない事情としては、会わせたくない拒否感情が強いときもあるわけだから。 反抗期もあって子どもがどうしても今は嫌だということもあると思う。そういうのを受け止めて今は会わない(間接交流にとどめる)というのも一つの選択だと思う。 そして、これは、本来国や同居親が面会を禁止するのではなくて、あくまで、面会実施の中での親子関係で解決すべき問題だと思いますから、審判としては直接交流を認めるべきです。その意味で、裁判所の考え方にも異論はありますが、ただ、どちらにしても、間接交流というのは、あくまで「今は」会わないという限定的なことだと思うんです。 裁判所が間接交流(手紙や写真など間接的な手段での「交流」)を命令することもあるけど、それは一時的であって、直接交流に将来移行するためにあるものというのが、裁判所の共通認識らしい。つまり面会が認められない親に問題があるというわけじゃない。 面会が認められていないというのが、面会をしない方がよいということではないんです。面会をした方がいいが、間接交流からスタートするということです。 ――そもそも「問題がある」って何なんですかね。 はっきり言って百点満点の親なんていない。いろんな親がいて、運動が得意か勉強ができたかできないか、稼ぎがあるかないか……いろんな個性がある親を子どもは背負っている。親も子どもも人間ですから、それぞれ癖があります。一緒にいてストレスに感じることもそりゃあるでしょう。 そういう中で、子どもなりに幸せを見つけて生きるというだけであって、問題がない親なんているんですか。金もあって優秀な親のほうが過干渉や過保護等、問題があると言われることもある。

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シリーズ 週刊金曜日のデマとヘイト 第3回 「共同養育が法的に廃止されたというのは極端」(前) | 共同親権ニュースドットコム

オーストラリアの親子法の変遷 「共同養育が法的に廃止されたというのは極端」 濱野 健さん(北九州大学文学部准教授)インタビュー 聞き手 宗像 充(共同親権運動ネットワーク、ライター) 週刊金曜日の特集「『親子断絶防止法案』は誰のためのもの」(2017年5月19日1136号)という特集について、シリーズで各界の人物に意見を聞いています。 3回目は、濱野健さん。北九州大学人間関係学科で社会学を教える。国際結婚の破たん問題。離婚に伴う子どもの養育問題について論文多数。   ――週刊金曜日では「オーストラリアでも子が犠牲になり、2006年の成立からわずか5年で離婚後の共同養育を柱とする法律を廃止された」と斉藤秀樹さんが発言しています。 kネットでは、週刊金曜日に対し、オーストラリアでも、両親との関係が子の利益だとする内容の法律は昔からあると週刊金曜日に答えています。2006年の改正は共同養育そのものが廃止されたという事実はあるのでしょうか。 濱野 2006年の家族法の改正では、両親による「均等な養育責任」(equal shared parenting responsibility)が定められました。しかし、この「均等」を養育時間の均等な分担として固持することが、結果として両親への養育負担を強化し、その結果子どもにとって望ましくない生活環境をもたらすことが指摘されました。その後政府の検討委員会により、「均等な養育責任」が必ずしも養育時間の均等を指す趣旨ではないことが示されています。 2011年の法改正では、改正の焦点に子どもの安全の確保が掲げられています。2006年の法改正で導入された共同養育実施の基準として、「フレンドリーペアレント」ルールが撤廃されています。この原則の維持ために(元)配偶者からの暴力や虐待について訴えを起こすことが困難になったという指摘が背景にありました。しかし、このルールの撤廃によって、とりわけ別居親が共同養育を実施することが再度困難な状況に置かれたという批判も出ています。

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シリーズ 週刊金曜日のデマとヘイト 第3回 「共同養育が法的に廃止されたというのは極端」(後) | 共同親権ニュースドットコム

オーストラリアの親子法の変遷 「共同養育が法的に廃止されたというのは極端」 濱野 健さん(北九州大学文学部准教授)インタビュー 聞き手 宗像 充(共同親権運動ネットワーク、ライター) ――オーストラリアでは2006年の法改正は、DV、虐待の問題が多発し、面会交流によって、DVや虐待が継続したのが原因だと小川さんは解説しています。   濱野 2006年の法律改正が、DVや虐待を増加させることになったのかという言説の背景には、次のような理由があります。 まず、この法律改正で定められた、離婚後の共同養育の実施について、司法や関係者が法律に書かれた「共同養育の責任」という方針を時間や負担の均質な配分として実施しようとするケースが多く見られました。 その結果、遠隔地で別居関係にある両親や子どもへの養育に関する負担、あるいは共同養育の原則が、子どもや他の配偶者への身の安全の保障よりも優先されるという事態が生じることになりました。その結果、いくつかの痛ましい事件も起きてしまい、それがマスコミで取り上げられ社会的な注目を浴びるようになりました。 その後、オーストラリアストラリア連邦政府司法長官による調査結果では、この法律における「共同養育の責任」について検討し、その解釈として、実際の生活環境や家計状況を考慮しながら可能な限り共同養育を進めることを意味するものであり、時間や負担の均等な割り当てを意味するわけではないという法解釈を提出しています。 また、それにともないこれ以後の法改正は、離婚後の過程における子どもの養育については、共同養育の義務的な実施ではなく、何よりもまず子どもの安全を第一優先とすることがあらためて強調されるようになりました。 参考 URL(2011年法改正の背景'background'を参照) 参考URL(司法長官の2005年家族法での共同養育責任へのコメント):

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朝日新聞社報道に対しての意見・抗議(共同親権運動ネットワーク)

報道機関(新聞協会会員)への報道倫理に関する意見窓口

Taro's blog 報道されづらい真実

何故,こんな酷い社会問題が解決されずにいるのだろう?という問題が日本には溢れている。 司法がもし法と正義を守る機関では無かったら? 深刻な社会問題を票読みから見て見ぬふりする政治家ばかりだったら? 大手報道が取り上げをタブー視する人権問題があったら? 市民を言論弾圧するスラップ訴訟が横行していたら? 今,市民の勇気をもった情報発信が求められている。 発信者 小島 太郎