殺される人生に導かれる日本の子どもたち
毎日のように報道される離婚後の子ども達が殺される事件
子ども達が殺されるニュースが毎日のように流れている。事件の詳細を確認することすら辛いので、ついつい、事件の把握が遅れがちであるが、日本社会の問題として責任ある大人達は目を逸らしてはいけない。
目黒の結愛ちゃんを虐待の末に餓死させた両親の裁判で保護責任者遺棄の罪に問われた母親は被害者側の証人となっていることが報道されている。そして未だに殆ど全ての報道機関が加害者を「父親」として報道し続けている。
元妻とその再婚相手に娘を殺された実父側を被害者遺族として配慮することは日本の報道人達にはできないようだ。「前のパパがいい」という結愛ちゃんのSOSを無視するのは行政機関だけでは無く日本の報道人や単独親権維持派だ。
離婚後単独親権者である母親が選んだ色恋相手を、「新しいパパ」とされることに幼い子ども達は抗う術が無い。そして、「新しいパパ」と加担するママ達により殺される事件があとを絶たない。
しかし、日本の報道や女権団体は、子ども達が望んだ相手でもなく継父になった男により殺害される事件を「問題の有る父親」として扱う。継父と実父の区別を着けないことにより、女性は如何なる場合でも加害者側では無く被害者側にならんとする。
先月末に、新法務大臣が法務省職員を加えた共同親権の研究会を年内に発足させることを発表したのを契機に、共同親権を危険視する言論活動が、女権団体や一人親支援事業者、養子縁組事業者、それらの御用学者たちにより活発化している。
危険なのは共同親権か単独親権か?
私は「離婚後単独親権強要制度=離婚に伴いどちらかの親権剥奪制度」になっている現状の民法を改正することを求める署名活動をchange.orgで行っており、今年の4月には法務省に提出をし、新聞報道にもなった。
連日のように起きている児童虐待殺人は、実母と彼女の選んだ新しい父親によって引き起こされていることが多い。共同親権になり実父や実父側祖父母の目が届いていたら、躾と称して死ぬまでいたぶられることを防げるケースもあると考えている。
同じchange.orgで、女性団体などが、共同親権を危険視する署名を集めており、あっという間に1万人を超える物凄い勢いとなっている。
単独親権維持派の意見も、同じように子どもの安全の為ということだ。いったいどういうことなのだろうか。
単独親権に固執する彼女らや支援事業者らや御用学者らは、実母や継父に児童が殺される事件を、父親による事件として、女性と子どもが常に弱者であり、問題の有る父親から、女性と子どもを守る為に、単独親権は何としても維持しなくてはならないということだ。
危険な親が単独親権者になることが何より危険だとおもうが、彼女らの意見には前提条件がある。同居親=母親=子どもにとって安全、別居親=父親=危険な親という差別視だ。
加えて、「父親は、育児が出来ない、面会交流を求めてこない、養育費を支払っていない」などの一部の母親の体験談が一般化され、別居親=極悪人のような扱いになり、共同親権が危険視されている。
選択的共同親権で子ども達を救うことが出来るのか?
これらの意見の影響か、「共同養育を実現する為に共同親権が必要」と公言している唯一の政党である日本維新の会の串田議員と足立議員の共同親権に対する公開対談を見ると「共同親権はやっぱり難しい」「共同親権も選択できる社会にする必要はある」という意見であった。
「選択」では無く、「原則」とすれば、既にある親権停止の民法の定めにより、「子どもに有害な親」が明かにされ虐待や殺害は減るだろう。しかし、「選択」であれば、身勝手な拉致、単独実効支配を強行して、他方親から養育費という名目で金を搾取する欲望に憑りつかれているようなケースでは全く問題解決にならない。
身勝手な強行支配親が共同親権を選択するはずがないからだ。
選択的共同親権では、実効支配親=意思決定者となるので、別居親差別は終わらない。どちらが危険な親かという審理は行われずに(どちらも危険、どちらも安全という審理も行われない)、単独監護を開始するなど主導権を取った方が被害者を装うことを保証する。選択的共同親権を目指すなら、一日も早く他国と同じように、片親に因る拉致の違法化と虚偽DVの対策や面会交流妨害親からの親権変更をしなければ今と何も変わらない。子ども達は、親権剥奪された片親に救済を求めることが出来ずに虐待され、殺されていく時代は今後も続くだろう。裁判所が選んだ単独親権者により殺される人生となる子どもたち
共同親権阻止派の方達の言論活動を確認すると、親権争いがある場合は、共同親権など出来る筈が無いという意見が主流だ。ここでいう親権争いとは、単独親権者の地位を双方が主張している争いでは無く、片方が単独親権を求めた法手続きを仕掛け、他方が共同養育を続けられるように親権を奪われたくないと対応しているという争いだ。
このようなケースでは、協力関係が得られないから、共同親権は機能しないという意見だ。
日弁連市民会議委員駒崎氏や首都大学教授木村草太氏、立憲民主党支部長篠田弁護士などの公開ツイートで散見される意見だ。
他文明国では、このようなケースの場合、離婚後も協力し合おうとする側を監護者に指定するから共同親権や共同養育が可能になっている。日本の裁判所の場合には、同意無き連れ去りなどで相手の監護権を奪う親に監護権を与えるので、当然に協力し合う関係ということは望めなくなっている。
先に挙げた有識者達の言論活動では、単独親権を得た親が親権行使に適していると判断されたのだから、親権者に選ばれなかった親は親権行使に適していない問題がある親とレッテル貼りをされている。
しかし、実際には裁判所が選んだ親権者や、その親権者の選んだ新しい父親に子ども達が虐待され、殺されるケースが多発している。
つい先日、母親の再婚相手を新しい父親とされ、「本当のパパじゃない」と本当のことを伝えたら殺害されたという痛ましい事件もあった。
この母親は、実父と親権争いの末に、親権を得た親であることが確認されている。子どもを殺す男を子どもの父親にする母親を親権者にすることを裁判所が選んでいるということだ。
母親が望んでも、子どもや実父が望まなければ、継父になれない共同親権制度なら、この男の子の命は救えたかもしれない。
こういった事件の際にも、単独親権固執派の有識者達は、実父側との共同親権では無く、児童相談所の強化や養子縁組の活性化に話しを向けようとしている。
何が何でも、実父では無く、母親を想定した一人親や養親に子ども達を歩ませる様子は、国や自治体の予算がそこにあるからだという意見も多い。
現役の裁判所職員に「日本の裁判所は何故、他国と同じように拉致によって開始された単独監護から従前の共同監護に戻させた上で、法手続きをさせないのか?」と尋ねたことがある。答えは次のようなものだった「連れ去りは、裁判所がさせたものではないので、そこで事故(虐待や殺害)が起きても裁判所批判が起きることは無いが、(他国と同じように)連れ去り前の生活に戻せと言う裁判所命令を出した後に事故が起きたら裁判所が叩かれるからだと思う。」との答えだった。他国の裁判官達は同じ懸念があっても、親権を目的とした拉致は認めないのだから、日本の裁判官達は、法や正義や子どもの命よりも、組織の保身を基準に動いているということだ。
日本の裁判官や利権、女権団体によって、殺される人生を歩まされている日本の子ども達を救える日は来るのだろうか。
一刻の猶予も無い筈だが、解決しようという動きは見当たらない。
#共同親権 #共同養育 #人権 #児童の権利条約 #連れ去り#単独親権 #利権 #フェミニスト
0コメント